母の命日

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週末は"憂国の士"たちと痛飲。土曜日は"例会"。ヒロキ画伯の還暦祝い。楽しく、にぎやかしく痛飲。昨夜は遠路からの来客と痛飲。焼酎「十四代鬼兜」を空け。毎夜。嬉しき人との楽しき宴と。

世は御彼岸。きょう3月22日は母の命日。仏壇にささやかな花を手向け。ろうそく灯し、線香焚き、リンを鳴らして合掌。南無阿弥陀仏と。「墓守」殿からメールあり。花で飾られた墓の姿が送られて来て。

仏壇の位牌。昭和61年没。行年70歳と。そうか。満では69歳だったんだ。まだ若かったんだと。仏壇の遺影はもっと若いし。

なんで死んだら行年とか享年とかで数えなのーーー。「ばあちゃんから聞いたんですが、母の胎内にやどった時からその人の人生が始まる。だから生まれた時はすでに一歳だと」。若い物知りが語った。数日前。そうですよ。満年齢なんていつのことから定着したのか。昔は正月になると一つ歳が増えていた。戦後だいぶたってからですよ。年齢の数え方の法律が出来て数えと満という二つの"名前"が出来たのは。亭主も小学校の時は"併記"で混乱させられた覚えあり。今は満が定着。

昭和25年以前は数え歳だった。還暦だって数えでやるべき(笑)。一年前のお祝いかいヒロキチャン(笑)。

朝に続いて午後にも仏壇に額づき。チーン。この母は凄かった。途中経過は省いても、女手一つで苦労して4人の子供育てあげた。男二人は大学まで出し。こども手当なんかなかったよ。三子以下の児童手当もなかったよ。とにかく頑張った。こどもたちも母の行年にアラウンド。一応皆生きているし。

仏壇の中からテレビを見てたのか。聞こえる声あり。「子供は親が育てるもの!」って

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このページは、亭主が2010年3月22日 15:13に書いたブログ記事です。

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